仏様の教えは生活の「知恵袋」

最近は仏教離れとかお寺に関心が無いという話をよく耳にします。特に若い世代において、仏教というと古臭いとか、年寄りのすることで自分には関係ないとかという風になりつつあります。本当にそうでしょうか。仏教、いわゆる仏様のお教えの中には、人は如何に生きるべきか、生きていく上で日々の暮らしの中で生じる悩み、苦しみにどう対処したらいいのか、それらに対する答えの糸口が仏様の教えの中に「智慧」として沢山詰まっています。そんな仏様の智慧がすぐ側にあるのにその隣で、悩みを抱えている私達は今改めてお釈迦様の教えの中に有る、智慧に目を向けてその智慧を生かさなければと思います。
この前、秋彼岸を終えて思ったことがあります。お盆の時もですが。皆さんはお盆とか彼岸というとまず何を思い浮かべますか。まずはご先祖様のことではないでしょうか。一年の中に季節季節、節目節目に仏教にとってというよりは、仏教徒にとって大事な日があります。
お盆や彼岸では、ご先祖様に感謝をする、今自分が生きているのは、自分の親、兄弟、家族だけではなくて、そこに至るまでの多くのご先祖様のお蔭なのですから、そのご縁に感謝する絶好の機会です。自分にご縁を戴いた、家族やご先祖に感謝することができないようなら、周りにいる人たちに感謝することもできません。人は知らず知らずのうちに、いろんな人に助けられているのですから。話を少し「彼岸」に戻しますと、彼岸は春彼岸と秋彼岸の二回あります。春分の日と秋分の日の昼と夜が同じ長さになる日を彼岸の中日といい、その前後三日間の一週間を彼岸といいます。わたし達のいるこの世界を此岸といい、仏様のいる世界を彼岸といいます。
そして彼岸は仏になるべき修行をするのに一番適切な一週間なのです。その修行というのが、「六波羅蜜」の実践であります。六波羅蜜とは「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」の六つです。「六度」ともいいます。「布施」とは施すことです。物を作ること働くことも大きな意味で布施ということになります。「持戒」とは戒律を守ることです。「忍辱」とは耐えること、怒りや、ねたみなどを捨てることです。「精進」とはその穢れの無い心を保つこと。「禅定」とは心を安定させること、禅、坐禅はその方法です。「智慧」とは物事を正見し、観によって思考ではなく、本源的な智慧を起こすこと。この「布施・持戒」は利他です。「忍辱・精進」は自利、自分の内面の行です。「禅定・智慧」は解脱ということに成ります。
一年に二回ある「彼岸」は、自己を正見し、今自分がどうあるかを見極め、見つめ直す一週間ということです。「六波羅蜜」を実践して、ご先祖様のご縁に感謝をして、一番近づく日でもあるのです。
そして「彼岸」には仏様の智慧を実践して自分の内面を正見してみてはどうでしょうか、おのずとご先祖様に感謝できて、周りの人たちに感謝の気持ちが生まれてくるのではないでしょうか。

合掌