最近、ご縁があって当山であるお葬式を出しました。周りの人たちやご家族から故人の人となりや出来事をお聞きした。ご近所との心温まる話をいろいろと伺っていると、今の時代、自分さえよければと思う人が多い中で、周りの人たちを大事にして暮らしてる様子が伺えました。故人は近所の人や子供たちをわが子のように見守っていて、お葬式の日に近所の子が新しい学校に上がる制服姿で御参り来た、故人に今度上がる学校の制服姿を見せに来たというのです。故人も近所の子の成長を楽しみにして、自分の孫と変わりなく周りの子達をかわいがっていた人であったと、故人の人柄を垣間見る出来事でありました。
道元禅師のお教え中に、菩薩が人を救済する4つの方法(『正法眼蔵』菩提薩○四摂法)が示されています。またそれは人が幸せになるための4つの方法、知恵に他なりません。それは、「布施」「愛語」「利行」「同事」の4つである。布施とは施しをすることであるが、物や財宝を与えることだけでなく、教えを説き与えることも布施であり、他のために行うすべてが布施である。物を作ることや家を作ることも、米を造ることも、働きながら行うすべてのことが布施と言えます。愛語とは、人は言葉によっていろんな事が起きることがあります。言葉一つで人は生き死にすることもあれば、人を奮い立たせるのも言葉であり、幸せにするのも、奈落の底へ突き落とす事もあるのが言葉です。愛語とは仏や菩薩となって相手にかける言葉なのです。他を思いやり慈しみの心で接し、思いやりの言葉で接することではないでしょうか。利行とは自分でなく他を利する行い、見返りを求めない行いのことである。同事とは、仏(如来)が人と同じになって救済することですが、言い換えれば己が仏となって多を、己と他を区別なくすることであり、自分のことのように人に接することである。この4つ四摂法はそれぞれ相通ずるものがあります。故人の普段の生活はこの教えにたとえられると感じられました。なかなか「布施」「愛語」「利行」「同事」を実践するのはたやすいことではありませんが、たとえば家族や周りの人、近所の人に会った時に、挨拶を交わす。たとえば工事をしている人にご苦労様とねぎらいの言葉をかけてあげることは、今すぐにでも出来ます。すべてのことは私の変わりにやっているのだから、感謝の気持ちを持って愛語をかけてあげましょう。
大正時代に日本に訪れたヨーロッパの記者が日本を紹介した記事の中で日本の街はゴミがなくとても掃除が行き届いて美しい街だと紹介されていました。(柳都新潟も紹介されています)それはどうしてだろうと疑問に思い見ていると、風で飛んできた紙くずを誰ともなく家の人が出てきて掃除してゆくと書かれています。そこに住む人は誰が捨てたゴミとか関係なくみんなできれいにしようと助け合いの気持ちが人々にかね備わっていたのではないでしょうか、今の私たちは自分さえよければとゴミを高速のパーキングやコンビニのゴミ箱に捨てに行ったり、酷い時は道に捨てるいわゆる不法投棄です。その時代の人たちが見たらがっかりしますね。今の殺伐とした社会で私たちが忘れ欠けているものは、相手を、人を思いやることであると思います。社会を構成するのは人と人のつながりであり、一番身近な、家族、夫婦、親子、の関係が良くならなければ、それを包む家庭も近所も、街も、市も、国も、社会も良くは、そう幸せにはならないと思います。一番身近な周りの人を思いやることの大事さを改めて教えられたような気がしました。
山主 合掌